2017年04月12日

雑記 直行寺さんの庭だより 其の三

事務局 毛利


グループワークの記事に引き続き、庭のことも少し書かせてください。
先日のGWの時は、京都の桜がちょうど満開で、
直行寺さんの玄関先の大きな桜も、とてもきれいに咲いていました。

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恥ずかしながら、長年お世話になっているのに、
ここにこんな立派な桜の木があることに、今まで気が付きませんでした。
今回はGWがちょうど桜の時機に重なってくれたので、
ようやく「はっ」と気付いて、見させていただきました。

また、よく見ると桜のすぐ横には、青々としたモミジの葉が出ていました。

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秋にはこのモミジがきれいに紅葉してくれることでしょう。

また、会場から見えるいつもの庭には、
今年もシャクヤクが咲いていました。

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まだ先初めで、花が開いているのは一輪だけでした。
おそらく来月のGWの時には、もう枯れているでしょうから、
今年も見ることができてラッキーでした。
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第59回「安心・安全な居場所」を見つけるためのグループワーク

事務局 毛利


先日、第59回のグループワークがありました。
よく数字を見ると、もう59回。
次で60回目になるんですね。
これまでのんびりと続けさせてもらい、
様々な方々と紡いできた囲炉裏の「場」があることを、
改めて感慨深く思いました。

さて、今回のワークも前回と同じく、スタッフのみの3人のワークとなりました。
いろいろとそれぞれ話をした後、
かなり長めの沈黙の時間がありました。
その沈黙の中で、私は今、心に留めてあることについて、
思いを巡らせていました。

私は今、老人ホームに勤めさせてもらっています。
利用者の中には、歩いたり、おしゃべりをしたりすることができる方もおられますが、
寝たきりだったり、話すことができない方もおられます。
そうした方々の生活のお手伝いをさせていただく中で、
「人が生きるっていうのは、どういうことなんだろう?」
「今、この方々に自分ができること、すべきことはなんなんだろう?」
という思いがわいてくることがありました。

しかしながら、勤めさせてもらっている以上、
仕事は次から次へと色々あって、
なかなかその思いと向き合うことなく、
日々の時間は過ぎていくなぁと感じています。

だけれども、今回のワークの沈黙の時間の中では、
そのことについて、ゆったりと自分の中で向き合うことができたように思います。

日常のあれやこれやから、ちょっと離れた静かな時間。
そんな時間って、取れるようで取れない、大切な時間のように思います。

少し立ち止まって、今の自分自身を見つめる。
あるいは、今の自分自身に問いかけてみる。
私にとって今回のワークは、そんな静かな時間をいただけた「場」でした。

次回はいよいよ第60回目です。
あなたもサークル「囲炉裏」の輪に入って、「安心・安全な居場所」を見つけませんか?
posted by サークル「囲炉裏」 at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月28日

第58回「安心・安全な居場所」を見つけるためのグループワーク

事務局  忠夫

 3月18日(土)に第58回「安心・安全な居場所」を見つけるためのグループワークを開催しました。 最初は、スタッフ2人で、サークル「囲炉裏」グループワークやカウンセリングに対する、それぞれの想いを語り合いました。 途中から直行寺の副住職さんが話の輪に入られ、心に残るグループワークとなりました。

 今回のブログでは、少し、個人的なことを書こうと思います。去る24日(金)に、ある老人ホーム(静岡県)を訪問しました(2泊3日)。その老人ホームには、私の叔母(97歳)が、20年以上、お世話になっています。400名近いお年寄りが暮らす大型の老人ホームです。

 私たち夫婦は、老人ホームの食堂で、叔母と同じ料理を頂きました。私は、そこで出される料理に調理人さん達の「自己主張」が感じられないことに気づきました。有名レストランで出される料理には、しばしば、「懐石料理とはこういうものだ」あるいは「これがフランス料理だ。美味いだろう」等というシェフの自己主張(自信)を感じることがあります。しかし、その老人ホームでは、それを感じることがなかったのです。

 その老人ホームで出された料理は、家庭料理といえば良いのでしょうか。家庭料理では、主婦(あるいは、主夫など)が、家族の顔を思い浮かべながら「皆に喜んでもらえるよう」「皆の心身の健康を願って」調理します。それを頂くのは、彼・彼女・彼ら・彼女らという3人称の人たちではなく、共に暮らす2人称の人たち(あなた・あなたがた)あるいは1人称の「私」です。

 その老人ホームでは、献立を考える人・調理をする人が400名近い2人称の人たち(あなた・あなたがた)の顔をこころに思い浮かべながら、献立を考え・調理しているのでしょう。これまでも、何回か、その老人ホームの食堂で、叔母と一緒に、食事をしたことがあります。でも、献立を考える人たち・調理する人たちの自己主張のなさに、気づくことはありませんでした。年齢とともに、身の回りの人たちの「こころ」に敏感になってくるのかも知れません。

 私の叔母は、出されたお料理の90%以上を、ユックリと味わいながら頂いていました。「97歳にして、この食欲」と驚きました。栄養をとるというより、調理人さん達の「こころ」を頂いていたのかも知れません。

 私は、主にカウンセリング研修の中で、グループワークのファシリテーターはどうあるべきかについて学んできました。しかし、叔母のお世話になっている調理人さん達に、グループワークのファシリテーターとして、見習うべき心構えがたくさんあることに気づきました。ファシリテーターとしての学びの場を老人ホームだけでなく、もっともっと、身の回りに見つけて、「安心・安全な居場所」を見つけるためのグループワークに活かしたいと願っています。

 サークル「囲炉裏」の輪に入って、「安心・安全な居場所」を見つけませんか?

posted by サークル「囲炉裏」 at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記