2016年07月31日

第50回「安心・安全な居場所」を見つけるためのグループワーク

事務局 忠夫

 相変わらずの遅筆です。今回は、第50回グループワーク(GW)から10日以上経過して、ようやく書き始めました。第49回GWのブログ(by 毛利)が、GWの2日後にアップされたのとは、大きな違いです。ブログをサッサと仕上げて、つぎの仕事に取りかかる、彼(毛利)の若さ・活力に脱帽します(サークル「囲炉裏」事務局の仕事を一緒にしている仲間を褒めるのは、チョット、気が引けますが・・・)。私は私なりに、年齢に見合うペースで、ユックリやるより仕方がありません。そして、年齢に見合う内容のブログを書くことができれば・・・と願っています。

 7月16日(土)に、第50回「安心・安全な居場所」を見つけるためのグループワーク (GW) が、ありました。今回のGWは、総勢6名でした。サークル「囲炉裏」のGWに参加される方々は、貴重な時間を紡ぎだして、来ておられます。そのように貴重な時間を使ってGWに参加された一人ひとりの言葉(あるいは、沈黙)には重みがあり、ファシリテーターとして、しっかり聴いて受けとめたいと考えています。

 しかし、私は小学校に入学してから「自分の意見を述べる」訓練を受けたことはありますが、「聴く」訓練を受ける機会はほとんどなかったように思います。このブログを読んでおられる方々も、似たような状況だと思います。これは、近現代の日本における教育の特殊事情なのでしょうか(明治以前の日本では、どうだったのでしょうか? 外国では?)。

 「聴」という漢字は「耳」、「+(プラス)」、「目」と「心」からできています。耳だけでなく、目も心も動員して、相手の言葉を受けとめる。これが「聴く」ということです。

 カウンセリングを学ぶとき、「逐語録づくり」をすることがあります。私は「逐語録づくり」が「聴く」訓練として、とても役に立つと考えています。「逐語録づくり」は、カウンセラーとクライエントとのやりとりを録音し(最近では、録画することもあります)、その一言一句を、正確に、文字化する作業です。音声を正確に文字化するには、録音を、何回も、くり返し聴く必要があります。

 その録音を聴く段階で、一部の情報(場の雰囲気など)を感じとることが難しくなり、さらに、文字化の段階で、言葉の勢い、しゃべる速度、声の大小・高低などに込められた情報が、失われてしまいます。これでは、音声を文字化する利点は何もないように思われます。でも、「録音を繰り返し聴くこと」「逐語録をジックリ読み返すこと」により、はじめて気づくことが、多々、あります。聴いて分かったつもりになっていたが、何も分かっていなかったことに気づくのです。「逐語録づくり」の過程は、「聴く」ことについて多くのことを考えさせてくれます。

 「逐語録づくり」を重ねることにより、聴く力をつける。これまでは「録音を繰り返し聴くこと」「逐語録をジックリ読み返すこと」により、はじめて気づいていたことを、GWに参加された方々の言葉を聴くだけで、(少しでも)感じ取ることができるようにする。これをサークル「囲炉裏」GWのファシリテーター役に活かす。第50回GWで皆さんのお話を聴いてから、ときどき、そんなことを夢想しています。

 サークル「囲炉裏」の輪に入って、「安心・安全な居場所」を見つけませんか?

posted by サークル「囲炉裏」 at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記