事務局 忠夫
明日から7月。第104回対面式グループワークが近づいてきました。近づいてくるとどんなグループワークになるかと緊張します。
久しぶりのサークル「囲炉裏」スタッフブログです。第104回対面式グループワークのことを念頭に置きながら書いてみます。
これまでにも、このブログに、何度か登場してもらったB女が、今年はじめに103歳で安らかに息を引きとりました。B女は、夫を亡くし独居老人になってから老人ホームに入り、97歳になるまで、周りの多くの人たちの助けを受けながらも、老人ホームで一人暮らしを楽しんできました。
6年前に、一人での生活が難しくなってきたため、同じ老人ホームの介護棟に移りました。そして6年間の介護棟における生活を存分に楽しんでからあの世に旅立ちました。
多くの介護老人施設には、入居しているお年寄りが集まって、テレビを見たり・食事をしたりする部屋があります。そういう部屋では「多くの老人がいるのに老人の声を聴くことはほとんどない。聞こえるのは介護をする人たちの声ばかり」という話をよく聴きます。
介護を受けている人たちは、周りの人たちに働きかけることがなく、介護を受け入れるだけになっているのでしょう。完全に受け身になってしまうと、お年寄りは「自分が生きている意味・価値」を見つけ出すことが難しくなってしまいます。
介護する人たちが、お年寄りを「介護する対象」としてだけ見るのではなく、《お年寄りに「生きている意味・価値」を見つけてもらいたい》と思いながら介護をすると、お年寄りは完全に受け身になってしまうことはないでしょう。
B女がお世話になっていた介護棟では、介護する人同士の会話や介護する人と介護される人との会話、それに介護されるお年寄り同士の会話も聞こえていました。介護されているお年寄りは「自分が生きている意味・価値」を見つけ出していたように思います(B女も)。
2021/04のサークル「囲炉裏」スタッフブログに「介護する人がワキ役を演じて、介護を受ける人がシテ(主役)を演じるときに、よい介護となるだろう」という意味のことを書きました。
B女がお世話になっていた介護棟では、介護する人は《介護されるお年寄りに「生きている意味・価値」を見つけてもらう》ためのお手伝いをしているように見えました。介護する人は介護を受けるお年寄りの手助けをするワキ役を演じていたのです(多分、現在も)。
サークル「囲炉裏」グループワークでは、スタッフも参加者も、お互いに傾聴しあうことが基本となります。参加していただいた方の話を「傾聴の対象」として考えるだけでなく、《参加していただいた方々に「生きている意味・価値」を見つけてもらいたい》と思いながら聴くことが大切だと思います。自分の考えをいったん脇に置いて、相手の身になって傾聴するのです。
グループワーク参加者は、野球でいえば、ストライク・ボールを判定する球審ではなくて、ピッチャーの球を、誠心誠意、受けとめるキャッチャーの役目を果たすのです。
「我必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫のみ」という聖徳太子十七条憲法(第十条)の言葉を大切にして、サークル「囲炉裏」グループワークを続けたいと思います。