2023年06月30日

6月のブログ(介護と傾聴)

事務局  忠夫

 明日から7月。第104回対面式グループワークが近づいてきました。近づいてくるとどんなグループワークになるかと緊張します。

 久しぶりのサークル「囲炉裏」スタッフブログです。第104回対面式グループワークのことを念頭に置きながら書いてみます。

 これまでにも、このブログに、何度か登場してもらったB女が、今年はじめに103歳で安らかに息を引きとりました。B女は、夫を亡くし独居老人になってから老人ホームに入り、97歳になるまで、周りの多くの人たちの助けを受けながらも、老人ホームで一人暮らしを楽しんできました。

 6年前に、一人での生活が難しくなってきたため、同じ老人ホームの介護棟に移りました。そして6年間の介護棟における生活を存分に楽しんでからあの世に旅立ちました。

 多くの介護老人施設には、入居しているお年寄りが集まって、テレビを見たり・食事をしたりする部屋があります。そういう部屋では「多くの老人がいるのに老人の声を聴くことはほとんどない。聞こえるのは介護をする人たちの声ばかり」という話をよく聴きます。

 介護を受けている人たちは、周りの人たちに働きかけることがなく、介護を受け入れるだけになっているのでしょう。完全に受け身になってしまうと、お年寄りは「自分が生きている意味・価値」を見つけ出すことが難しくなってしまいます。

 介護する人たちが、お年寄りを「介護する対象」としてだけ見るのではなく、《お年寄りに「生きている意味・価値」を見つけてもらいたい》と思いながら介護をすると、お年寄りは完全に受け身になってしまうことはないでしょう。

 B女がお世話になっていた介護棟では、介護する人同士の会話や介護する人と介護される人との会話、それに介護されるお年寄り同士の会話も聞こえていました。介護されているお年寄りは「自分が生きている意味・価値」を見つけ出していたように思います(B女も)。

 2021/04のサークル「囲炉裏」スタッフブログに「介護する人がワキ役を演じて、介護を受ける人がシテ(主役)を演じるときに、よい介護となるだろう」という意味のことを書きました。

 B女がお世話になっていた介護棟では、介護する人は《介護されるお年寄りに「生きている意味・価値」を見つけてもらう》ためのお手伝いをしているように見えました。介護する人は介護を受けるお年寄りの手助けをするワキ役を演じていたのです(多分、現在も)。

 サークル「囲炉裏」グループワークでは、スタッフも参加者も、お互いに傾聴しあうことが基本となります。参加していただいた方の話を「傾聴の対象」として考えるだけでなく、《参加していただいた方々に「生きている意味・価値」を見つけてもらいたい》と思いながら聴くことが大切だと思います。自分の考えをいったん脇に置いて、相手の身になって傾聴するのです。

 グループワーク参加者は、野球でいえば、ストライク・ボールを判定する球審ではなくて、ピッチャーの球を、誠心誠意、受けとめるキャッチャーの役目を果たすのです。

 「我必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫のみ」という聖徳太子十七条憲法(第十条)の言葉を大切にして、サークル「囲炉裏」グループワークを続けたいと思います。
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2023年03月31日

3月のブログ(「本当のA女」)

事務局  忠夫

 最近のサークル「囲炉裏」のスタッフブログでは、これまで、0〜2歳期のA女の表情や身振り手振りを観察することをとおして、言葉によらない表現について考えてきました。

 現在、A女は3歳の誕生日が近づき、自分の思っていることを言葉にしてしゃべることが、かなりできるようになっています。保育園でも、よくしゃべっているようです。

 人間は五官(目・耳・鼻・舌・皮膚)を使って、周囲からいろいろな情報を深層意識として取り込み、そのうちの一部は表層意識に浮かび上がって言葉(心の中の言葉)になります。A女も、この段階までは、ずいぶんできていたように思います。

 しかし、日本語の発音の仕方を知らないために、心の中の言葉を口に出してしゃべるのにずいぶん苦労してきたようです。3歳が近づいてきて、日本語の発音の仕方を少しずつ身につけ、心の中の言葉をかなり口に出してしゃべれるようになってきました。

 いっしょに街を歩いているとき、消防車・救急車・パトカー・ゴミ収集車などが、そばを通り過ぎていくと、A女は興味を示して目で追いかけます。そして「消防車だ!」などと叫ぶこともあります。私は「ああいう車に乗ってみたいのだろう」と思っていました。

 ところが、最近になって「大きくなったら消防のポンプ車になる」と言い出しました。私たち大人は「消防士になる」と考えることはあっても、「消防のポンプ車になる」と考えることはありません。消防士になる訓練を受けて、難燃性の衣装を買いそろえれば「消防士になる」ことができるかも知れません。でも、私たちが「消防のポンプ車になる」ことは、姿形から考えても無理です。

 江戸川乱歩の小説「怪人二十面相」では、「怪人二十面相」があるときは老紳士にあるときは艶麗な貴婦人に姿を変えます。さらに、江戸川乱歩は二足歩行ロボットの姿をした「怪人二十面相」を考えることもできたでしょう。「怪人二十面相」は変装して老紳士・貴婦人・二足歩行ロボットになるので、老紳士・貴婦人・二足歩行ロボットの内側には本当の「怪人二十面相」がいるのです。

 しかし、江戸川乱歩は「怪人二十面相」が消防のポンプ車に姿を変えることは考えられなかったと思います。私たちは、姿形が似たものに変装することはできますが、姿形がまったく異なるモノ(ポンプ車など)に変装することはできません。

 A女が「ポンプ車になる」と言うときには、変装以外の方法で「ポンプ車になる」と考えているにちがいありません。では、A女はどのような方法で「ポンプ車になろう」と思っているのでしょう。

 A女の表情や身振り手振りを観察してもA女のおしゃべりを聴いても、A女がどのような方法を考えているのか見当がつきませんでした。

 以下は、私の心に浮かんだストーリーです:

 私たちが見ているA女は人間の姿をしているけれど、これは「本当のA女」の仮の姿です。「本当のA女」は姿形をもたないが、この世に現れるときには、いろんな形(仮の姿)をして出てきます。数ヶ月(あるいは、数年)後に、「本当のA女」は人間の姿をしたA女から消防のポンプ車の姿をしたA女に変身します。人間の姿をしたA女も消防のポンプ車の姿をしたA女も「本当のA女」の仮の姿なのです。消防のポンプ車の内側にいるのは人間の形をしたA女ではなくて、姿形をもたない「本当のA女」なので、人間と姿形がまったく異なるモノ(ポンプ車など)になることもできるというわけです。

 これからは、A女の言語表現をもとに、A女の顔の表情や身振り手振りの意味を考え直す必要が出てくるでしょう。
posted by サークル「囲炉裏」 at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2022年12月09日

12月のブログ(“七五三”とパーソナルスペース)

事務局  忠夫

 すでにお知らせしたとおり、第100回グループワークは申込み者がゼロでしたので中止としました。また、サークル「囲炉裏」のスタッフブログを8月からお休みしていました。いつもですと、グループワークで感じたことを出発点に身のまわりで起こったことをスタッフブログに書いているのですが、今回は、グループワークとは関係なく、“七五三”で感じたことを書いてみたいと思います。

 今回も、これまでに何回もスタッフブログに登場したA女に関することです。彼女は、この12月に2歳7ヶ月になり、コトバの数が増えて、単語と単語をつないで一つの文章にすることもできるようになっています。もちろん、思っていることのほんの一部しかコトバにできていないのでしょうが。

 覚えたコトバを使って、いろいろの理屈を申し立てて自分の意見を言うようになりました。第一反抗期に入っているのでしょう。

 第一反抗期とは、幼児から言えば「自分の思っていることを表情や動作・音声だけでなく、コトバでも表現できるようになる」時期、周りのオトナから言えば「コトバをとおして、幼児の心のなかを垣間見ることができるようになる」時期ということになりそうです。

 A女は、数え年3歳ですから“七五三”適齢期です。“七五三”に関する自分の思いを、覚えたてのコトバを使って表現してくれます。おもに、母親の話をもとに、“七五三”に対するA女の思いを書いてみたいと思います。

 11月になり、A女は両親に連れられて大きな神社のそばにある貸衣装店へ行きました。“七五三”のときに着る衣装を選ぶためです。そこの店員さんが、A女の肩幅を測るために、後ろに回りメジャーをA女の肩に当てようとすると、それを振り払って肩幅を測らせなかったそうです。腕の長さについても同じ。そして、大声で泣き出したとのこと。

 この「事件」を聴いて、私は「パーソナルスペース」という言葉を思い出しました。「パーソナルスペース」とは、心理学の言葉で「他人に近づかれると不快に感じる空間(Wikipediaによる)」のことです。パーソナルスペースは、知り合ったばかりの人に対しては広く、家族や親しい友人に対しては狭くなります。A女の場合、母親とのパーソナルスペースはゼロ(母子一体)です。しかし、初対面の店員さんとのパーソナルスペースはかなり広く、その広いパーソナルスペースの中に店員さんが入ってきたので、A女はパニックを起こしたのでしょう。

 この「事件」をきっかけに「(“七五三”用の衣装を)着ません」「(“七五三”を)しません」というコトバが、A女の口から連発されるようになりました。A女の“七五三”嫌悪が始まったのです。

 これまでも、A女は外歩きのとき近所の人が近づいて話しかけたりすると、大声でワーンと泣いて、近所の人を撃退していました。コロナ禍のもと、生まれてからずーっと外出する機会が少なかったため、A女にとってパーソナルスペースが狭いのは家族だけだったのです。また、A女はパーソナルスペース内に他人が入りこむことに対して、とても感受性が高かったように思います。

 A女は今年の4月から保育園に通うようになって、パーソナルスペースの狭い人が増えてきました(先生や同じグループの園児など)。でも、貸衣装店における「事件」からみると、初対面の人に対するA女のパーソナルスペースの広さや感受性は、以前と変わらないようです。A女の成長とともに、初対面の人に対するパーソナルスペースの広さや感受性が、どのように変化していくのでしょう。A女と交わりながらみていきたいと思います。

posted by サークル「囲炉裏」 at 07:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記