2022年08月29日

8月のブログ(第99回“対面式”グループワーク)

事務局  忠夫

 サークル「囲炉裏」は、7月9日(土)に第99回“対面式”グループワークを開催しました。なじみの方(1名)が4年ぶりに参加され、心温まる雰囲気のもと、共に語り共に聴く、サークル「囲炉裏」らしいグループワークとなりました。参加された方から「なかなか参加できないけれど、この活動をこれからも続けて欲しい」というありがたいお言葉をいただきました。

 今回は、サークル「囲炉裏」のスタッフブログに、これまでも、何回か登場しているA女について書いてみたいと思います。A女は間もなく2歳4ヶ月になります。ずいぶん多くの言葉をしゃべるようになりました。A女の発する音声・言葉(単語)や表情などから、A女が住んでいる世界を想像することができます。

 胎児期や産まれてから数ヶ月の間、A女の世界に住んでいるのは母親だけでした(母子一体)。

 離乳食の時期(生後5ヶ月〜)になると、A女は父親やその他の家族・親族とのつながりを持ち始め、彼らもA女の世界の住人になりました。母乳以外のもの(離乳食)を口に入れ始める時期と母親以外の家族・親族がA女の世界に住み始める時期が重なっています。これは、A女の身体の成長と世界の成長が連動していることを示唆しています。

 コロナ禍のため外出をひかえねばならないというたいへんな時代ですから、2歳近くになるまで、家族・親族以外の人がA女の世界に住みつくことは、ほとんど、ありませんでした。

 彼女は、この4月(1歳11ヶ月)に保育園に入園し、昼間は、先生がたや1歳数ヶ月〜2歳数ヶ月の園児(10名ぐらい)とともに過ごしています。彼女の世界に住む人がいっぺんに増え、A女の世界が拡がったのです。


 A女の話に続き、B女の話をしたいと思います。私には、年に数回B女に会って話を聴く機会があります。B女は、間もなく102歳8ヶ月になります。30年近く、同じ老人ホームで暮らしています。2歳4ヶ月のA女は、これから一世紀以上生き続けないとB女の歳になりません。気が遠くなるような話です。

 B女が生きている世界は、当然のことながら、A女の世界とはまったく異なります。また、B女の世界も、年々、変化しています。

 10年ほど前、B女には大切なモノ(財布や通帳など)が見えなくなることがよくありました。その頃、認知症が始まっていたので、B女は財布や通帳をタンスの引き出しなどにしまったことを忘れることがよくあったのです。

 そうした場合、B女は、最も身近にいてお世話になっている人(介護士さんなど)に盗られたのではないかと疑っていました。その頃、彼女の世界には、B女の大切なモノを狙っている疑わしい人がいっぱい住んでいたことになります。

 ところが、10年ほど経って、100歳を超える頃から彼女の大切なモノを狙う疑わしい人は、B女の世界から消えていなくなりました。今では、「私のまわりにいる人はいい人ばかりで、とっても幸せ」と言っています。B女の世界に、なぜこのような変化が起こったのでしょう? 老人ホームの一般居室から介護棟に移ったことだけでなく、B女が「歳をとったら、みんな物忘れをする。当たり前のことだ」と自分の記憶力の衰えをあまり気にかけなくなったことが大きな原因だろうと思います。大切なモノが見えなくなっても「周りの人が盗った」とは思わなくなったのです。

 A女の年齢とB女の年齢にはさまれた私たちの場合を考えても、私たちは共通の客観的な世界に住んでいるわけではありません。これまでの経験やそのときの心身の状況に応じて、私たちはそれぞれ別の世界に生きているのです。
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2022年06月28日

6月のスタッフブログ(第98回“対面式”グループワーク)

事務局  忠夫

 6月下旬となり、近畿地方でも、猛烈な暑さが続いています。皆さま、“危険な暑さ”のもと熱中症にお気を付けください。

 サークル「囲炉裏」は、5月9日(月)に第98回“対面式”グループワークの開催を予定していましたが、参加申込者はゼロでした。

 これまで、参加申込者がゼロの場合には、スタッフ同士でグループワークを行ってきました。それまでのグループワークで感じたことやスタッフの近況・心境などを話し合うことが多く、内容の濃いグループワークになっていたように思います。

 今回は、いつもの会場(直行寺さん和室)にいるのはスタッフ(事務局 忠夫)一人だけでしたので、これまでにないかたちのグループワークとなります。

 朝日新聞デジタル(2022年5月7日)に【谷川俊太郎さん、「死」って怖くないですか 女子中学生の投稿に反響】という記事がありました。見出しを見たときから気にかかっていたのですが、斜め読みの時間しかなかったので、A4用紙(約5ページ)にプリントアウトしたものをグループワーク会場に持ってゆき、この記事を相手にグループワークをしようと考えました。

 この記事は、女子中学生(Yさん。投稿当時、中学1年生)が朝日新聞朝刊「声」欄に投稿した 「死んだら、どうなるんだろう。私はよく、そんなことを考える・・・」で始まる文章について、オンラインで谷川俊太郎さん(詩人、90歳)に感想を訊ねたものです。谷川俊太郎さんは、長く読み継がれている詩「生きる」の作者です。

 Yさんに「かけるとすれば、どんな言葉?」という問いに対する谷川俊太郎さんの回答が印象的です。

 「言葉ってどうしても抽象的で、ご本人と面と向かっていないと僕、言葉が出てこないんです。特に、死について語るってことは。恐怖は、意識よりもっと深い潜在意識のようなものにかかわっているわけですから、言葉では言いにくい気がします」

 この回答は『朝日新聞「声」欄にあるYさんの文章をじっくり読んでいると、投稿された文章にある言葉だけでなく、その言葉をつづっているYさんの潜在意識も私の心に伝わってきます。私が意識していることだけでなく私の潜在意識もAさんに伝え返そうとすると、Yさんに言葉をかけるだけでは済みません。Yさんと面と向かっていないとダメなんです』ということでしょう。

 そのことに関連して、その記事には「そこにいる、そばにいるということが大事だと思います。ボディーランゲージというか、身体同士のぬくもりですね。そばにどれだけ長くいるか。時間ってものは大きいんだよね、人間にとって。 家族って ものが大事なのは基本的にそういうことがあるからで、友情もそうですよね」という谷川俊太郎さんの言葉があります。

 これらの谷川俊太郎さんの言葉は、そのまま対面式グループワークに当てはまります。対面式グループワークでは、しゃべっている人の言葉だけでなく潜在意識にあるものも聴き取り、そのことにより自分の意識・潜在意識を変えていく・・・。これがうまくいったときには、いつまでも印象に残る対面式グループワークになります。

 今回のグループワークでは、朝日新聞デジタルの記事をとおして、谷川俊太郎さんとの対面式グループワークを行うことができたように思います。ただし、女子中学生Yさんとは、谷川俊太郎さんの言葉をとおして接するだけで「そばに・・・長くいる」ことはできませんでした。機会をみて、Yさんとの対面式グループワークを試みてみたいと思います。
posted by サークル「囲炉裏」 at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2022年04月30日

4月のスタッフブログ(第97回 対面式グループワーク)

事務局  忠夫

 サークル「囲炉裏」では、3月28日に第97回 対面式グループワークを開催しました。直行寺さんの会場から見えるソメイヨシノは満開に近くなっていました。参加者として1名の方を迎えて、共に語り、共に聴き合う密度の濃いグループワークワークになりました。

 そこで出た話題のなかに「コロナ禍のもと、フェース・ツー・フェースでゆっくり語り合い、ゆっくり聴き合う機会が少なくなっている。今回の対面式グループワークを楽しみにしている」というありがたい言葉がありました。

 今回のスタッフブログでは、コロナ禍のもとにおけるフェース・ツー・フェースの会話について、私が感じていることを書いてみます。

 コロナ禍が始まるまで、フェース・ツー・フェースによる会話では「知(知性、理屈)」「情(感情、気持ち)」「意(意志、意見)」のすべてがやりとりされるので、他者とのつながりが密になると言われていました。他者とのつながりを密にするためには、知・情・意の中で、特に「情(感情、気持ち)」の交換が重要で、声・動作・表情などの言葉によらない表現が大きな役割をはたします。言い換えると、「情(感情、気持ち)」を伝えることに関して、言葉はそれほど得意ではありません。

 ここで、スタッフブログに何回も書いてきたA女(間もなく2歳)のことを思い出しました。A女が、母親のコロナワクチン接種について行ったときの話です。母親に注射針が刺されるのを見て、A女は、周りの人がビックリする程大きな声で泣き出したそうです。どんな言葉を使っても、この大きな泣き声ほどには “母子一体”という「情(感情、気持ち)」を伝えることはできないでしょう。

 コロナ禍のもとにおける会話には「@ フェース・ツー・フェースで話しあう機会が少ない、A フェース・ツー・フェースで話しあうことがあっても、対面時間が制限されることが多い、B マスク着用がほぼ義務化されているため、相手の表情が読み取りにくい」などの制約があります。このような状況では、フェース・ツー・フェースで接していても、会話は「情(感情、気持ち)」の交換なしに「知(知性、理屈)」や「意(意志、意見)」の交換だけになりがちです。これでは、他者とのつながりを密にする効果はあまり期待できないでしょう。

 コロナ禍のもとにおける会話で他者とのつながりを密にするためにはどうすればよいのでしょうか? 私は、会話の中でしゃべるのが遅くなったところや沈黙の時間に注目しています。

 いつも考えていること・いつもしゃべっていることは、スラスラと言葉になって口から出てきます。ところが、「心の奥底にあること」や「人知れぬ悩みや不安」を言葉にしてしゃべるのはそう簡単なことではありません。

 「心の奥底にあること」や「人知れぬ悩み・不安」を口に出そうとすると、しゃべる速度が遅くなります。あるいは、言葉にならず黙っていることもあるでしょう。

 ポツリポツリと口から漏れる言葉だけでなく、しゃべっている相手の心に思いをめぐらす。あるいは、黙っている相手の心に思いをめぐらす。そのとき、自分の知識・考えをいったん脇に置いて、相手の身になって思いをめぐらすことが大切です。そうすると「情(感情、気持ち)」の交換が始まり、コロナ禍のもとにおけるフェース・ツー・フェースの会話でも、他者とのつながりを密にする効果が期待できるでしょう。

 サークル「囲炉裏」の輪に入って、共に静かなときを過ごしてみませんか?
posted by サークル「囲炉裏」 at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記